
起源は平安時代(808年)まで遡ることになります。
円仁(後の天台座主第三祖)が目黒の地に立ち寄りましたところ、その夜の夢に、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、恐ろしい形相の神人が枕の上に立ち現れたとされます。
『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん。』と告げ、夢覚めた後その尊容を黙想し円仁自ら、像を彫刻して安置したのに創まると伝えられます。
江戸時代には、徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りに立ち寄った際、その愛鷹が行方知れずになってしまい、家光自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めたそうです。すると、忽ち鷹が本堂前の松樹に飛び帰ってきたのをみた家光公は、その威力を尊信し、諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げます。
その伽藍は『目黒御殿』と称されるほど華麗を極めました。
かくして五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)のひとつとして江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護として、江戸随一の名所となるのです。